指輪の魔神の物語

0.

おれは、魔神ナールが灯した火から生まれた魔人だった。眷属、という扱いになるんだと思う。
生まれたときからナールの家来として、やることは色々あった。魔宮づくりも、手伝った。
それが終われば、ナールの神殿の警備の仕事があった。その時のおれには自分ってものがあまりなくて、ただぼんやり何十年、村の人たちの様子を眺めてた。
ナールは気まぐれに、人間にいいこともすれば、悪いこともした。
人間はナールの機嫌をとるために貢物をして、おれたちを見るといつも地べたに頭をつけて、平伏した。
おれははじめ、人間のことにさして興味がなかった。
村にも、豊かなのと、貧しいのがいた。豊かなのは丸々太って、貧しいのは小枝みたいで、いつも食べ物を探していた。
豊かなやつは、おれにも貢ぎ物をしようとした。籠いっぱいの果物を、大魔神さまによろしく、だとか言って。
ただの眷属がナールに物言いをつけられるわけがない。俺は面倒くさくて、何も言わなかった。押しつけられた食べ物を、どうするべきかもわからなかった。
主人のナールに持っていくのが正しかったのかもしれないけど、そもそもナールは貢物になんか興味がない。食べ物だって、食べたりせずに燃やす。ただ、人がちゃんと自分を畏れているかの基準として見ていた。
おれがもらった貢ぎ物を眺めていたら、痩せた人間がじっと、こちらを見ていた。
おれも向こうを見ると、人間は驚いて逃げようとした。でも、おれが待てと言ったら止まって、こわごわこちらを見た。
おれは、自分でもよくわからなかったけど、人間をそばに招いて、籠の果物をやった。いま思えば、食べるところが見たかったんだと思う。
おれやナールは、食べ物を燃やすだけで、口に入れたりはしなかったから。
人間はずっと怯えていたけど、果物を食べるのはやめなかった。食べたいだけ食べたら、何かモゴモゴお礼を言って、残りを汚れた服に包んで振り返りながら帰った。
おれはこの時、間違えてしまった。人と、ジンとの距離をあの人間に間違えさせてしまった。

1.

それから季節がひとつかふたつか過ぎた頃だった。
日照りがひどくて、人間たちは不作に苦しんでいるようだった。ナールのところにも陳情があったけど、雨を降らしたりはしなかった。ナールは、雨が嫌いだから。
ナールへの貢物も、不作の影響だとかで減った。ナールは面白くなさそうにしていた。
神殿に近寄る人も減って、村からは人が離れはじめた。
そんな時だった。
飢えた人間が、神殿の祭壇に置き去りにされた供物を、その場で食べ始めたのは。
祭壇に登れば、おれが何もしなくともナールに伝わる。
ナールはすぐにやってきて、供物を燃やしてしまった。
人間は怯えたのか、食べ物が燃えてかなしいのか、目だけをぎらぎらさせて、おれたちを見上げていた。
ナールは、盗人を燃やそうと片手を上げた。
この人間は、飢えて魔神の供物に手を出した。
ならば魔神の火で焼かれるのは仕方がない。実際、それを覚悟してやるべきことなのだから。
罪には罰を。不敬には刑を。魔神の理屈では当たり前のことで、おれは、何かするつもりなんてなかった。
「その人間、見逃してやってもいいのでは」
誰が言ったのかと思った直後に、おれが言ったのだと気づいた。
つい、口から言葉が滑り出てしまった。
一度開いてしまった口からは、次々に言葉が飛び出した。
「どうせあなたは、供物を食べたりしない。
 いらないものなら、やってしまえばいい」と。
ナールは、食事中に突然「皿の上の野菜や魚がかわいそうだ」と泣き出した子供を見るみたいに─ つまり、とても面倒くさそうにおれを見た。
勿論こんな例えは、今じゃなければ思いつかないから、思い返してみれば、の話だ。

2.

……いや、子供なんかじゃない。
おれだって、上級魔神のナールにとっては、野菜や魚とそう変わらないものだった。
せいぜいは食器がいいところだ。
あの目で見られたとき、おれはすぐにそれを思い知って、身震いした。
ちょっとした気まぐれのせいで、おれは人間もろとも消されるんだと後悔した。
だけど主人は、片手で人間を追い払った。見逃してくれた。
人間は後も見ずに逃げていった。
そしておれを見て主人は、笑いながら言った。
私にもの言いをつけた罰だ。
お前に人間というものを教えてやる、と。
ナールはおれを、魔法の指輪に閉じ込めた。
100人の願いを3つずつ叶えなければ解けない呪いだ。
そうしておれは、色んな人間の手に渡りながら、願いを叶え続けた。

3.

はじめは、100人なんてすぐだと思ってた。けれど、違った。
皆、おれをしもべにすると大抵はお金を欲しがった。そして、2つめ、3つめの願いを出ししぶっておれを、指輪を隠した。
一度仕舞い込まれると長い間呼ばれることもなく、そのせいで、1000年経っても願いを叶えられたのは10人にも満たなかった。
指輪を巡って肉親同士が争うこともあった。
願いを増やさないと指輪を溶かすと脅す主人も。
おれに人を殺せと命じる主人もいた。
それはできないと言うと、遠回しな方法でそれを手伝わされた。
1000年、2000年と経つ頃には、おれはすっかり人間に愛想が尽きていた。
魔神ナールは多分、おれを試したんだと思う。
そもそもおれは、試すに値するほど人間に何か希望を思っていたわけじゃなかったのに。

4.

そんな頃に、どういう巡り合わせか……おれは金持ちの手から転がり出て、ひとりの奴隷の子に拾われた。
マタルという奴隷の子どもは、指輪から出てきたおれに、まずは自由を願った。
おれはすぐにその願いを叶えてやった。鎖をはずして、主人の手の届かない、暮らしやすそうな村へ連れて行った。

問題はそのあとだった。

二つ目の願いは、この場合なら金のはずだった。いつもそうだったから。
けれど、マタルはおれに、魔神のおれに「友達になって」と頼んだ。
正直ごめんだと思った。さっきも言った通り、すっかり人間不信になっていたから。
だから、「友達になってほしいなら、まず自由にしろ」とおれは返したけど、マタルは賢かった。

「いま自由にしたら、きっと何処かへ行ってしまうよね?
それじゃあ、友達になれない」 と泣きそうな顔で言うんだ。

勿論、そのつもりだった。
おれを懐柔して、うまくのせればいくらでも願いを叶えてもらえると思ったんだろう。子どものくせに浅ましい、そう思った。

けれど、魔神は願われれば、叶えなければいけないから、おれは友達になるしかなかった。マタルと同じぐらいの歳や背格好に姿を変えて、それからずっと、マタルと一緒の日々だ。いつ自由にしてくれるのかと聞くと、マタルはいつも、二つ目の願いが叶ったら、と言った。まったくかしこくて、失礼なやつだった。

5.

青年になったマタルは、
砂漠の魔宮に挑むと言い出した。魔宮の財宝を得て、すべての奴隷を自由にすると。
マタルが子どもの頃に、おれが寝物語に砂漠の魔宮の話をしたせいだ。
魔宮は、ナールが英雄気取りの人間をからかうために作らせたもの。
最下層には、確かに魔神に捧げられた財宝がある。けれど、そう簡単に辿り着けるようにはできていない。
特に、最下層の「仕掛け」は残酷だ。

けれどおれはすべての「仕掛け」を知っている。だからこそ、マタルは勝算があるとにらんだらしい。
そして確かに、途中までは上手く行った。
けれど、マタルは最下層で、砂漠の獅子にやられてしまった。
砂漠の獅子は、女の顔に獅子の体がついた怪物だ。マタルを引き裂き終わると、興味を失った。やつは、人を喰いもせずに殺す。魔神のおれは、無視された。
虫の息のマタルに、おれは最後の願いを使うように言った。「自分を治せ」と願うようにと。
自由になるのは、別の誰かに願ってもらうと。

けれどマタルが願ったのは、「全部忘れて、自由になれ」だった。


それじゃ願いがふたつ必要だと断った。
するとマタルは、笑って言った。「2つ目の願いは叶ってないだろう」と。
マタルは「お前なんか、最初から友達とは思っていなかった。お前もそうだろう。言うことをいくらでも聞いてもらうために言ったんだ。そんなの友達じゃない」
確かにおれは、マタルを友と呼んだことはなかった。だけど、それならお前を治して、ここから出られるよう願えと叫んだ。
返事はなかった。マタルにはもうその力は残っていなかった。
このままマタルが冷たくなれば、おれは指輪に戻るだけ。マタルの願いは叶わず、亡骸もおれも、誰に見つかることもなくここで眠り続ける。
自由になれば、瀕死のマタルを治せるほどの力はなくなる。癒しの力は願われてこそ。魔神のおれ自身にあるのは、炎の力、壊す力だ。

悩む暇は無かった。おれは……マタルの最後の願いをできるだけ叶えることにした。
けれど、おれ自身が納得できていなかったから、丸ごと忘れて、自由になることはできなかった。
おれは己の半分だけ切り離して、全て忘れさせて、自由にした。
いずれは擦り切れて消えるのはわかっていたから、マタルを弔うためにここに帰ってくるように暗示をかけたけど、どちらでも良かった。
残りのおれは指輪に戻り、マタルと共に眠り続けた。

そして今、思い出した。

おれは魔人カイス。
マタルの友達。

……レベリンは、マタルがおれに最初につけようとした名前。そのときは、断ったんだけど……。

これが、おれの話。