彷徨う鬼火の話

昔々、あるところに、
ウィリアムという、悪賢い男がいた。
彼は堕落した人生の末、死んだあとも悪魔を脅迫し、聖人を騙して怒らせ、地獄にも天国にも行けない魂となった。

そうなってもウィリアムは飄々としたものだった。
ウィリアムには寂しさも、恋も、愛も、何もなかった。
がらんどうの人間だから、行き場がなくなっても大して困らなかった。

赤カブをくりぬいたランタンを提げて道行く旅人を迷わせたりどぶ沼に導いては指をさして笑っていたが、長い時間を彷徨い続けるうち、ウィリアムの魂はすり切れて、もはや風前の灯火だった。

ゴーストとは、過ぎ去った誰かの影法師だと誰かが言う。
もうそこにはいないはずなのに、想いの残滓がカタチを作り、ここにいると叫び続ける。
けれど、器も拠り所も持たない魂は磨耗し、劣化していくものだ。

存在の消滅を予感して、さすがのウィリアムも恐怖した。
死んだというのにおかしな話だが、生存本能と言うべきか、己の意識が消える恐怖だけは、たしかにあった。

だからウィリアムは他の魂を食べて、存在を強めようとした。

かといって、同じゴーストを食べてもダメだ。
その辺をうろついてる奴らはかびくさくて、とても食えたものじゃない。磨耗した魂なんて大した力にもならないのに、いまのウィリアムでは、返り討ちにあうことも考えられる。
みずみずしい、死にたての魂でなければいけない。

ウィリアムは、ランタンに誘われてやってくる旅人を死なせようと試してみたが、なかなか成功しなかった。
だから方針を切り替えて、放っておいても死にそうな人間を探した。
そして、貧しい村に行けば、いくらでもそんな人間はいた。

初めに食べたのは、疫病で死んだ村の子どもの魂だった。
ウィリアムはかわいらしい坊やの魂を死神の横からかすめ取って、ずるりとひと呑みにして逃げた。

子どもの魂を食べると、ウィリアムの消えかけていたランタンの灯りはひときわ大きく輝いた。

ところが、生きた子どもの魂はやんちゃで、ウィリアムの中で大きく暴れ回り、一つに溶け合うまで長い時間がかかった。
子どもの魂がなじむと、この空っぽだった亡霊にも変化があらわれた。

具体的には、もっともっと遊びたくなった。誰彼かまわずちょっかいをかけたくなり、甘いお菓子が欲しくなった。
お菓子かいたずらか、そう唱えながら家々をまわり、人だけでなく馬も犬もみんな脅かしてまわった。
けれど、いくらおどかしても、菓子を食べても、満たされないものがあった。
ゴーストの毎日には刺激が足りない。なにせ、時間が限りなくあるのだ。
欲深いゴーストは、すぐにまた魂を欲した。

次に食べたのは、誰にも看取られず孤独に死んだ老婆の魂だった。老婆は今際にウィリアムの姿を見たのか、私にもお迎えがあるのね、とかすれた声でつぶやいて、うっすら微笑んだ。ややしなびた魂を呑み込むと、呆気なく溶けてしまった。

すると、未だスカスカの心に感じたことのない寂寥感が押し寄せ、今度は寂しくてたまらなくなった。そして、美しさ、若さへの渇望が生まれた。
誰かがそばにいてほしい。他者の関心が欲しい。
だけど、若くなければ、美しくなければ、関心を持ってもらえない。

だから、今度は美しい娘の魂を食べた。
世を儚んで冷たい川に身を投げたその魂は、ひどい男に花の盛りを摘み取られ、裏切られたのだと掌の中で泣いていたが、ゴーストはかわいそうにと思ってもない慰めを言って、それを呑み込んだ。
娘の魂がなじむと、今度はひどい寒気がゴーストを襲った。そして、身を滅ぼすような焦がれる想いが胸の内でくすぶった。

寒さに悩まされたゴーストは、火に焼かれた罪人の魂を食べてみた。しかしこの寒さに、どうやら死因は関係ないようだった。

陰気な魂ばかり取り込むから寒いのかと思い、笑いを絶やさなかった芸人の魂を食べると、他人への関心がもっと強くなったが、寒さは大して変わらなかった。

それからも、老若男女を問わず、ゴーストは見つけた魂をランタンで誘い、己の中に取り込んだ。

「おいで、おいで、寒いタマシイはおいで
この灯で良いところに この灯で悪いところに
俺が ぼくが あたしが 私が
案内してあげる!」

彷徨う鬼火はたくさんの魂を、
地獄にも天国にも行けない、永遠の旅路に招待した。
ゴーストの中には、溶けきらない無数の魂が渦巻いていた。

魂を一つ食べるたびに、色々な感情が押し寄せる。
空っぽの心に、悲しみが、楽しさが、寂しさが、恋しさが、恨みが流れ込む。なんとも刺激的で、長い退屈を埋めるにはもってこい。
ゴーストはまるで海水を飲むように、飲み干すたびに膨らみ、そして渇いていった。

彷徨うゴーストはある日、放埓で好色な貴族の青年の魂を食べた。
青年を見つけたとき、彼はまだ生きていた。
すらりと背が高く、自信に満ちて、美しい顔貌をしていた。

身投げした娘の、かつての想いびとによく似たかんばせ。
女性のもとへ通う途中の青年は、娘の声で何度か呼びかけただけで驚いて落馬し、胸や脚を馬に踏まれてあっさりと死んだ。

まだ冷え切らない青年の体に触れて、ゴーストは生きたヒトのあたたかさを思い出した。

青年の魂を飲み込んだゴーストは、気まぐれを起こして、青年の体に入ってみた。
生きた人間に入るのは無い骨が折れるが、空っぽの体ならば簡単だ。

そのまま魂の求めるまま、彼が向かおうとしていた愛人のもとへ行ってみたが、貴婦人はバルコニーから青年を見ると悲鳴をあげて中へ引っ込み、ぴしゃりと窓を閉めてしまった。それもそのはず、胸から折れた骨が飛び出し、足はあらぬ方向へ曲がっていた。

体に刻まれた記憶をたどって、今度は青年の家族のもとへ帰ると、彼の母親は涙を流しながらも死に体の息子を迎え入れ、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。

ゴーストは束の間、無邪気な子供のように母親に甘えて、満ち足りた時を過ごした。
ゴーストの中にいたいくつかの溶け残りの魂が、家族を思い出して抜け出ていった。

やがて青年の体は腐り、溶け落ちていく。
それでも世話をし続ける青年の母親は、世間一般の感覚に照らすと狂っていたと言えるだろう。

そのうち誰の差し金か、神父だか牧師だかがやってきて、ゴーストを骸の器から追い出した。
それだけでなく、ゴーストの中の無数の魂を解放しようと、彼を締め上げて、聖水を浴びせてきた。

弱ったゴーストは火の玉になって、文字通りの死に物狂いで逃げて逃げて、何から逃げていたのかも忘れてもまだ逃げて、逃げていたことも忘れて、やっと止まった。

逃げるうちに元の形を思い出せなくなったゴーストは、とりあえず青年の姿をとった。
それから、ふと気付いた。
思い出せないのは姿形だけではないことを。
ごちゃ混ぜのゴーストは、自分が元々誰だったのかも、どのような人間だったのかも、わからなくなっていた。

男だった気もするし、女だった気もする。
子どもだったかもしれないし、老人だった時もありそうだ。
とんでもない悪人だったし、もちろん比類なき善人だ。
何もかもめちゃくちゃで、自我さえもごちゃごちゃだった。

淡く光る鬼火は、訳も分からぬままふらふらと彷徨うほかなかった。
己は何者なのかを探しながら長い時を過ごし、やがて、
市街地の墓地を自分の家にした。
とはいえ、もちろん名前も思い出せなかったので、「Funeral」の看板を表札ということにした。

そして、とりあえずの拠り所を得たゴーストは、めちゃくちゃな自我の中から街に合ったものを拾い上げて、整理して、とりあえずの「性格」を決め、己を作り替えた。

殻となった「誰かさん」の魂はすっかり磨耗していて、もう薄皮ほどにもなかった。
残ったのは全身をほんのり染める、赤カブの色ぐらいのものだった。

これが、最早誰も語り得ない彼の末路。

天国にも地獄にも行かず、消えることすら拒否して他者を呑み込み続け、
ついには自分自身を上書きしてしまった
馬鹿なウィロウザウィスプの話。