己 弓一(ツチノト ユイチ)

超高校級の美容師

己 弓一

“ ぼくはきみをすごいと思っとるから ”

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coc探索者
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超高校級の美容師

17歳 / 185cm / 痩せ型
身体的特徴:糸目

超高校級の美容師。いわゆる全肯定bot。人が好き。
派手な見た目だが、本人は至って気のいいあんちゃん。
身内に激甘で面倒見が良い。母は京都人。
シャツは柄物が好き。

好き:人と話すこと、親子丼、いちご味、ドラえもん
嫌い:寒いこと、寂しいこと

口調
なんとなくはんなりした喋り。
一人称:ぼく
二人称:きみ、あんた
三人称:あだ名、XXくん、XXちゃん、あん人
喜「んはは……なんなん君ら。おもろいわ」
怒「もうええよ」
哀「流石にしんどいわ……シクシク」
楽「ぼく、イチ抜けさしてもらいます」

特筆する技能

芸術(スタイリング):85
説得:55 精神分析:66 キック:65

ギャラリー

董虎(ドン・フー)

紫煙くゆらす灰色の男

董 虎

“ 早いとこ、隠居したいもんだ ”

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▷魔型デバフヒーラー
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医師

大体いつも気だるげな猫獣人。黒丸眼鏡に煙管、灰色のふさふさした尻尾がトレードマーク。自称・山猫。
「流民九龍街」に診療所を構え、鍼灸・整体・漢方の処方を中心に、たまに運び込まれる裏社会の者の怪我の治療も行っている。
暇になると友人の営む飯店で鍋を振ることも。
東の異国「辰華(シンカ)」からの移民だが、グリマルシェで10年以上過ごしており、言葉は流暢。たまに母国語が出る。

来歴

故郷「辰華国」の黒道(極道組織)、「董家」の生まれ。
お家騒動で色々とあり、国に居ると危険だったため、知人を頼って義兄弟とも言える友人・雲飛(ユンフェイ)とその娘・雨花(ユーファ)と共にグリマルシェへ渡った。
彼らの始めた飯店の裏手に診療所を構え、医師として働き始める。
流民九龍街の黒道である三不天のトップ、文龍(ウェンロン)と知己であり、色々と御用聞きや用心棒まがいのこともやっている。

ギャラリー

主従会話

「それで、君はどうしたいノ? アンジェロ・アダムスキー。」
「……藪から棒に、何です?」
執事幽霊は、主人からのいつもながら唐突な問いかけに、片眉を上げた。
目の前の、青年貴族の姿をした怪異……ファン・エラル“公爵”は優雅に宙空で足を組み、こちらを見下ろしている。
「あの世に逝くのかどうか、って話ダよ」
「いえ、時期は……決めていません。私の一存でどうこうもございません。……そも、他に選択肢があるので?」
公爵はわざとらしく、長い足を組み替える。
「ンー、まぁネ。行き着く先は他にも」
「以前伺った限りでは、普通の人間の霊は、放っておけば摩耗して消えるか、モンスターや妖精の類になれ果てたり取り込まれる、というお話でしたが」
「そうだネェ、アダム。普通なら」
「……普通なら?」
含みのある言い方に、執事はおうむ返しに続きを促す。
「前までのキミは実際、普通の儚い霊だっタよね。
でもキミは少しずつ存在感を強めた。気づいてル?」
沈黙を肯定ととったか、そもそも返答を求めていなかったか。主人は芝居がかった仕草で、歌うように言う。
「強い感情が、未練がこの世に楔をうがつ。心当たりは……聞くまでもないネ?」
執事は、いささか下品な含み笑いにも鉄仮面を通したが、その奥で瞳は揺れた。
「……強い霊になると、何かあるのですか」
「なれ果てる先として、精霊とか、神の使い?とかの上級コースも選べまーす」
パンパカパーン、とクラッカーが弾けた。紙片と紐は、眉間に皺を寄せた執事の顔を通り抜けて宙を舞い、落ちてゆく。
「そういう道なら、モンスターや木っ端の妖精とは違って、キミはキミのまま、もっと強い存在になれる」
「私の望みは強くなることでは……彼と共に、屋敷の皆と同じ所へ逝くことです。それに変わりはありません」
「同じ所ネェ……本当に同じ所へ逝けるかナ?」
執事は思わず声音を固くする。
「……どういうことです」
「さア……お互いのこと全部わかってるつもりでも、自分自身も気づいてないことまではわからないよネ」
「閣下……いえ、ファン・エラル。貴方は何を知っているんです? 」
「さあ、何も知らないヨ、何も。ただ、ワタシは惑わし迷わす怪異。本来の“道”がうっすら見えるンだよね。そして今、彼の道はひとつじゃない」
「彼が、何か別のものになる道が?」
「そうとは限らないケド〜、あれだけ魔力が強い霊なら、何かあるだろうネェ……大きな存在に見初められちゃったりして」
薄桃色をした怪異は長い人差し指を立てると、先にゆらゆらと揺れる幻の炎が灯った。
その中に次々と神や天使や悪魔、執事の知り得ない何かの偶像が浮かび上がる。
「気をつけなよォ。私たちみたいなのにとって、強い魂って、とおおおっても、美味しそうだから。
ああ、いっそ……キミらも私の一部になるってのはドう?」
笑う怪異は、指先の火を緑色の舌に押し付けて揉み消した。破滅的な提案に、渋面の執事はため息を吐く。
「……正気の沙汰では」
ない、と言い終わる前に、けたたましい笑い声が響いた。
「アハハ、アハハハ! 正気? ワタシが正気に見えてた?」
ファン・エラルの口は耳まで裂けて、真っ黒い眼孔が髑髏のように大きくなる。風船のように膨らみ、みるみるうちに肥大化した顔が、目前に迫る。
そんな顔を間近に見ても、アダムは顔面がぶつからぬようにと真っ直ぐに伸びた背筋をやや後方に逸らしただけで、半歩も引かずに見返した。
もしも足があったとしても、踵を浮かせることもしなかっただろう。
「これは、失言をいたしました。……ええ、今は、正気のようですね。そのように振る舞っていても、いつも我々をご心配くださっている。
……ですから、時折、貴方がファビアン様ではないと忘れそうになる」
すっかりこの怪異にも慣れてしまったのか、怖気付かない様子の執事を見て、悪霊はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「ふうん。ふふん。そうだとしたら、きっとファビアンが、彼女が残した“残り物”。そんな正気はいずれは使い切るヨ」
「使い切れば、どうなるんです」
「そうなれば……君らをあの世に案内するまでもなく、食べてしまうだろうネ」
「主人を諌めるのも、我々の務めかと。幸い、近頃は腕に覚えもございます」
悪戯が失敗した子供のように唇を尖らせて、公爵はすっかり元のサイズに縮んだ。
「フフ……忘れないデね? 私たちは君らのことを、かわいい従者だと思っていルけど……それは3時のおやつに食べちゃいたいってことでもあるんだかラ。
そうしちゃう前にサァ、身の振り方を決めておいてヨ」
「……ご忠告に感謝を。どんな道であろうと、私は彼と共にゆきます。見送り役は、もう二度と御免被る」
強い語調に呼応するように、屋敷に灯る蝋燭の火が一斉に瞬いた。アダムがその輪郭を一層強めたのを見ると、怪異は満足げにひとつ笑った。

雪犬

雪で作られた犬

YUKI-INU

遊んでもらいたいようだ。

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▷ただ、犬らしく。
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サモエドに似た大型犬

とある不思議な場所で、雪から作られたガイド犬。

新雪のようにふわふわの体は、触れるとひんやりしている。きれいな水さえあれば存在を保てるらしい。犬らしいことは大体できる。

来歴

三日月という不思議な場所で、仲間と共に作った雪像が動き出したもの。仲間によりパスチラ(ロシアのお菓子の名前)と名付けられ、アルフォンソらに引き取られた。

もとは引き取り手が見つかるまで、ということだったが、お利口で無駄吠えしないため、宿の大家にも気に入られすっかり居着いている。

宿を空けがちな彼に代わり、現在は主にQが世話をしている。

ギャラリー

縁のけものの物語

昔々、天界にはこの世のすべての叡智が詰まった書庫があり、書庫には、それらを守るけものがいました。

けものに名前はなく、ただ書庫番と呼ばれていました。そこは広く静かで、誰もいませんでした。
本当にたまに神の使いがやってくるのと、どこからか、意地悪な蛇が来るくらい。

でも、ある頃からそこにやってくるものがいました。それは人間でした。
人間は書庫の知識を盗みに来たのです。
当然、番人であるけものは、盗人を見つけると襲って爪と牙で引き裂き、殺しました。けものの心に任せれば、体は自然と動きました。

そんなところに蛇がやってきて、けものに人の味を教えました。

はじめは、無垢な獣。獣が獲物を食うことに罪はないはずです。
けれど怪物は、食べたひとの知を少しばかり得ることができました。

盗人から守るために、盗人を知れば、やがて美しく強く賢い、完璧な書庫番ができあがるはずでした。

そういう仕組みにつくられていたのですが、“設計”の誤算は、けものに人らしい考え方までが染み付いたこと。

けものはいつしか、ひとに似た心や、考える力を持つようになり、言葉を覚え、書庫のあらゆる書物を読むようになりました。
なにしろ時間なら、いくらでもありました。

けものは、書を通して人間のことを深く知りました。
詩を、歴史を、芸術を知り、人の持つ深き探究心に共鳴しました。
そうなると、人間はもはや、獲物ではありませんでした。もっと尊く、慈しむべきものに思えました。

ようやくけものは己のしたことに気づくと、深く後悔しました。悔やんでも戻らぬことを悔やむ姿は、まるで人間のようだったかもしれません。

けものが喰らったものは、口にするまでは、それが罪であることすら知らされない、知恵の果実でした。

けものは、次こそは人と言葉をかわし、友になりたいと望むようになりました。けれど今までにけものがたくさん食い殺してしまったせいで、天なる書庫の半人獅子は、人食いの怪物だと誰もが知るようになり、盗人もめったに来なくなってしまいました。来てもいざけものに出くわせば、剣を振るうか、一目散に逃げ出すだけです。

そんな中で1人の勇敢な若者が書庫にやってきました。けものは慎重に、手厚く、若者を歓迎しました。若者がけものの話に耳を傾けると、優しく話しかけ、好意を示し、次から次へ、いろいろな知識を与えました。

その人間はやがて、けものに気を許したように見えました。
それでも彼が懐に神獣を殺せるナイフを持っているのを、けものは知っていました。
そして、それぐらいされて仕方ないとわかっていました。

人間は青年から老人になるまでそこでけものと一緒に過ごしました。けものにサヘル(縁にいるもの)と言う名を与え、友のように長いときを過ごしたのです。

しかし人間は老いを感じたとき、帰りたいと言い出しました。ここで知を抱えて死ぬよりも、この知識を持ち出し、人々の役に立てたいと。

けものは寂しさに押しつぶされながらも、引き止める事を諦め、禁忌であった石板の知識を、友に与えました。

書庫を去る日、人間は一緒に下界へ逃げようと言ってくれましたが、けものはそうしませんでした。

意地悪な蛇が、けものにこう言ったのです。
人食いの怪物を今更人間が受け入れるもんか、と。
蛇は、怯んだけものに、更に言いました。

「お前のおかげで俺も“ご相伴”に預かれて楽しかったよ。最初、お前は殺すだけだった。でも、俺がこれは美味いと教えてやったら、喜んで喰うようになった。
母親に薬を作りたくて書庫にやってきた人間を食べたこともあったよな。お前は都合よく忘れているんだろうけど、おれは全部覚えているよ。
お前はずっと人殺しの怪物だった。今更どの面下げて人と暮らそうって言うんだ?」

蛇は、悪魔でした。
けものは気づいていましたが、何も言うことができず、英雄に別れを告げ、そのまま書庫に残りました。
そして、神により裁きを下されました。七つの方法で、七度の死を迎え、そのたびに生き返りました。

裁きに飽くと、神はけものを地に落としました。最早守る意味のなくなった石板も、ともに落ちました。

ボロボロの状態で落ちていたサヘルを助けたのは、幼い人間の娘でした。
サヘルは娘に自分の名を名乗りましたが、娘は言葉を持たず、名を呼ぶことができませんでした。

サヘルは娘に言葉を教え、寄り添って守るようになりました。娘はサヘルを呼び、慕い、恋しましたが、やがて同じ時間を生きられぬことを悟ります。
娘が人間の若者と恋をして、妻になり、母親になり、祖母になっても、サヘルはずっと、そばにいて一家を守りました。
そして、娘が死ぬときには、一緒に向こうへ連れて行ってほしいと頼みました。しかし、彼女はそれを許してはくれませんでした。サヘルに血族の守護を頼み、一人で旅立ってしまいました。
サヘルは最後まで娘に、己が人喰いの怪物であったことを伝えることができませんでした。

サヘルは娘に言われた通り、長いことその家族を見守っていましたが、最後の血族が息を引き取ったとき、旅にでました。

それからいくつもの出会いと別れがありました。
サヘルは人に心を移すたび、ついて行きたいと頼みましたが、誰もがサヘルを置いていきました。

どんなに胸が引き裂かれる思いをしても、サヘルは、人との関わりをやめられませんでした。人になることも望まずに、縁のけものであり続けたのです。

縁のけものは、今日もひとの輪、地上の命の輪の縁をうろうろと歩き回ります。
縁に終わりはなく、誰かが人喰いの怪物を裁くその日まで、けものは輪の中を覗き込み続けます。

そんな長い旅路の中、新たに訪れた大地、グリマルシェ大陸。

けものがここでどう生きたのかは、また別のお話。

彷徨う鬼火の話

昔々、あるところに、
ウィリアムという、悪賢い男がいた。
彼は堕落した人生の末、死んだあとも悪魔を脅迫し、聖人を騙して怒らせ、地獄にも天国にも行けない魂となった。

そうなってもウィリアムは飄々としたものだった。
ウィリアムには寂しさも、恋も、愛も、何もなかった。
がらんどうの人間だから、行き場がなくなっても大して困らなかった。

赤カブをくりぬいたランタンを提げて道行く旅人を迷わせたりどぶ沼に導いては指をさして笑っていたが、長い時間を彷徨い続けるうち、ウィリアムの魂はすり切れて、もはや風前の灯火だった。

ゴーストとは、過ぎ去った誰かの影法師だと誰かが言う。
もうそこにはいないはずなのに、想いの残滓がカタチを作り、ここにいると叫び続ける。
けれど、器も拠り所も持たない魂は磨耗し、劣化していくものだ。

存在の消滅を予感して、さすがのウィリアムも恐怖した。
死んだというのにおかしな話だが、生存本能と言うべきか、己の意識が消える恐怖だけは、たしかにあった。

だからウィリアムは他の魂を食べて、存在を強めようとした。

かといって、同じゴーストを食べてもダメだ。
その辺をうろついてる奴らはかびくさくて、とても食えたものじゃない。磨耗した魂なんて大した力にもならないのに、いまのウィリアムでは、返り討ちにあうことも考えられる。
みずみずしい、死にたての魂でなければいけない。

ウィリアムは、ランタンに誘われてやってくる旅人を死なせようと試してみたが、なかなか成功しなかった。
だから方針を切り替えて、放っておいても死にそうな人間を探した。
そして、貧しい村に行けば、いくらでもそんな人間はいた。

初めに食べたのは、疫病で死んだ村の子どもの魂だった。
ウィリアムはかわいらしい坊やの魂を死神の横からかすめ取って、ずるりとひと呑みにして逃げた。

子どもの魂を食べると、ウィリアムの消えかけていたランタンの灯りはひときわ大きく輝いた。

ところが、生きた子どもの魂はやんちゃで、ウィリアムの中で大きく暴れ回り、一つに溶け合うまで長い時間がかかった。
子どもの魂がなじむと、この空っぽだった亡霊にも変化があらわれた。

具体的には、もっともっと遊びたくなった。誰彼かまわずちょっかいをかけたくなり、甘いお菓子が欲しくなった。
お菓子かいたずらか、そう唱えながら家々をまわり、人だけでなく馬も犬もみんな脅かしてまわった。
けれど、いくらおどかしても、菓子を食べても、満たされないものがあった。
ゴーストの毎日には刺激が足りない。なにせ、時間が限りなくあるのだ。
欲深いゴーストは、すぐにまた魂を欲した。

次に食べたのは、誰にも看取られず孤独に死んだ老婆の魂だった。老婆は今際にウィリアムの姿を見たのか、私にもお迎えがあるのね、とかすれた声でつぶやいて、うっすら微笑んだ。ややしなびた魂を呑み込むと、呆気なく溶けてしまった。

すると、未だスカスカの心に感じたことのない寂寥感が押し寄せ、今度は寂しくてたまらなくなった。そして、美しさ、若さへの渇望が生まれた。
誰かがそばにいてほしい。他者の関心が欲しい。
だけど、若くなければ、美しくなければ、関心を持ってもらえない。

だから、今度は美しい娘の魂を食べた。
世を儚んで冷たい川に身を投げたその魂は、ひどい男に花の盛りを摘み取られ、裏切られたのだと掌の中で泣いていたが、ゴーストはかわいそうにと思ってもない慰めを言って、それを呑み込んだ。
娘の魂がなじむと、今度はひどい寒気がゴーストを襲った。そして、身を滅ぼすような焦がれる想いが胸の内でくすぶった。

寒さに悩まされたゴーストは、火に焼かれた罪人の魂を食べてみた。しかしこの寒さに、どうやら死因は関係ないようだった。

陰気な魂ばかり取り込むから寒いのかと思い、笑いを絶やさなかった芸人の魂を食べると、他人への関心がもっと強くなったが、寒さは大して変わらなかった。

それからも、老若男女を問わず、ゴーストは見つけた魂をランタンで誘い、己の中に取り込んだ。

「おいで、おいで、寒いタマシイはおいで
この灯で良いところに この灯で悪いところに
俺が ぼくが あたしが 私が
案内してあげる!」

彷徨う鬼火はたくさんの魂を、
地獄にも天国にも行けない、永遠の旅路に招待した。
ゴーストの中には、溶けきらない無数の魂が渦巻いていた。

魂を一つ食べるたびに、色々な感情が押し寄せる。
空っぽの心に、悲しみが、楽しさが、寂しさが、恋しさが、恨みが流れ込む。なんとも刺激的で、長い退屈を埋めるにはもってこい。
ゴーストはまるで海水を飲むように、飲み干すたびに膨らみ、そして渇いていった。

彷徨うゴーストはある日、放埓で好色な貴族の青年の魂を食べた。
青年を見つけたとき、彼はまだ生きていた。
すらりと背が高く、自信に満ちて、美しい顔貌をしていた。

身投げした娘の、かつての想いびとによく似たかんばせ。
女性のもとへ通う途中の青年は、娘の声で何度か呼びかけただけで驚いて落馬し、胸や脚を馬に踏まれてあっさりと死んだ。

まだ冷え切らない青年の体に触れて、ゴーストは生きたヒトのあたたかさを思い出した。

青年の魂を飲み込んだゴーストは、気まぐれを起こして、青年の体に入ってみた。
生きた人間に入るのは無い骨が折れるが、空っぽの体ならば簡単だ。

そのまま魂の求めるまま、彼が向かおうとしていた愛人のもとへ行ってみたが、貴婦人はバルコニーから青年を見ると悲鳴をあげて中へ引っ込み、ぴしゃりと窓を閉めてしまった。それもそのはず、胸から折れた骨が飛び出し、足はあらぬ方向へ曲がっていた。

体に刻まれた記憶をたどって、今度は青年の家族のもとへ帰ると、彼の母親は涙を流しながらも死に体の息子を迎え入れ、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。

ゴーストは束の間、無邪気な子供のように母親に甘えて、満ち足りた時を過ごした。
ゴーストの中にいたいくつかの溶け残りの魂が、家族を思い出して抜け出ていった。

やがて青年の体は腐り、溶け落ちていく。
それでも世話をし続ける青年の母親は、世間一般の感覚に照らすと狂っていたと言えるだろう。

そのうち誰の差し金か、神父だか牧師だかがやってきて、ゴーストを骸の器から追い出した。
それだけでなく、ゴーストの中の無数の魂を解放しようと、彼を締め上げて、聖水を浴びせてきた。

弱ったゴーストは火の玉になって、文字通りの死に物狂いで逃げて逃げて、何から逃げていたのかも忘れてもまだ逃げて、逃げていたことも忘れて、やっと止まった。

逃げるうちに元の形を思い出せなくなったゴーストは、とりあえず青年の姿をとった。
それから、ふと気付いた。
思い出せないのは姿形だけではないことを。
ごちゃ混ぜのゴーストは、自分が元々誰だったのかも、どのような人間だったのかも、わからなくなっていた。

男だった気もするし、女だった気もする。
子どもだったかもしれないし、老人だった時もありそうだ。
とんでもない悪人だったし、もちろん比類なき善人だ。
何もかもめちゃくちゃで、自我さえもごちゃごちゃだった。

淡く光る鬼火は、訳も分からぬままふらふらと彷徨うほかなかった。
己は何者なのかを探しながら長い時を過ごし、やがて、
市街地の墓地を自分の家にした。
とはいえ、もちろん名前も思い出せなかったので、「Funeral」の看板を表札ということにした。

そして、とりあえずの拠り所を得たゴーストは、めちゃくちゃな自我の中から街に合ったものを拾い上げて、整理して、とりあえずの「性格」を決め、己を作り替えた。

殻となった「誰かさん」の魂はすっかり磨耗していて、もう薄皮ほどにもなかった。
残ったのは全身をほんのり染める、赤カブの色ぐらいのものだった。

これが、最早誰も語り得ない彼の末路。

天国にも地獄にも行かず、消えることすら拒否して他者を呑み込み続け、
ついには自分自身を上書きしてしまった
馬鹿なウィロウザウィスプの話。

少年が空を知った日

或る不幸な家族の話 の後、アルフォンソが飛行機乗りを目指したきっかけの話

警察に自首してから、アルフォンソは裁判を受けて、少年院へ行くことになった。
父親を刺したにも関わらず、刑はそれほど重くはなかった。
刺された父親が死ななかったことが一番大きいだろうが、
事情が事情なことと、仕事先の人など、
おそらくアルフォンソの人柄や、バラッカ家の状況を知る誰かが口添えしてくれたのもあるだろう。

ナイフの刃渡りが小さく、大事な臓器を傷つけていなかったため、
父は大事には至らなかったと聞かされた。
アルフォンソは、中途半端なことをしてしまったと思った。
これでは母の目も、永遠に覚めることがないだろう。

いや、もう母もどうでもいいのだ。

少年院では、糸の切れた人形のように、ぼうっと過ごしていた。
ぼうっとしすぎて知らないうちに不興を買ったらしく、
年上のグループに喧嘩を売られて、ボコボコにされた。
一方的に殴られるのには慣れていたが、さすがに腹が立ったので、
反撃してリーダーの前歯を全部折ってやった。
独居房に隔離されたり、刑期が長くなったりしたが、どうでも良かった。
不良看守に遊び半分に嬲られても、すでに心が壊れていたから平気だった。

少年院を出たアルフォンソは、二度と家に戻るつもりはなかった。
アルフォンソの身元引き受け人として名乗りをあげたのは、
かつてアルフォンソを預かった、父の知人だった。
名前すら覚えていなかったが、フランクと言うらしかった。
ちょうど軍を辞めたところにバラッカ家のことを知ったのだそうだ。

フランクはアルフォンソに上着をかけて、車に乗せた。
助手席で人形のように黙っているアルフォンソに何も言わず、
ただ海辺をゆっくり走って、沈む夕日を見せた。

フランクの家は幸いなことに別の街だったが、そこにも飛行場があった。
海とは少し離れていて、郊外には畑と滑走路がひろがっていた。

フランクは抜け殻のようになったアルフォンソを車であちこちに連れ回した。
アルフォンソは正直言ってそのお節介を鬱陶しいと感じていたし、ほとんど無視をきめこんでいた。
それでもフランクがあまりにしつこいのでとうとう根負けして、サービスで楽しそうなふりをしてやった。
するとあんまり素直に喜ぶので、なんだか申し訳ない気持ちになったし、毒気も抜かれていった。

そしてある日、アルフォンソからフランクに、「飛行機に乗ってみたい」と言った。
ずっと地上から見送るだけだったが、閉塞感に満たされていた彼の人生にとって、
鳥のように自由に空を駆けるその姿は、憧れそのものだった。
フランクは頷き、2人乗りの飛行機でアルフォンソを空の旅へと連れ出した。

感じたこともない衝撃と速度、風の冷たさ、眼下の光景。
その時、彼ははっきりと自分の運命を感じた。

欲しいものは空にある。
冷たい風が、自分にまとわりつく粘ついたものすべてを振り落としてくれる。

地上に降りたアルフォンソは生まれ変わったようだった。
すぐにフランクに弟子入りして、飛行技術、整備技術を学んだ。
聞いていないのに何故かついでにナンパ術や処世術なども教えてくれた。

フランクは明るくて、お節介で、どこへ行っても話題の中心にいる、とにかく人を惹きつける男だった。
彼のもとでアルフォンソは少しずつ、本来の明るさ、前向きさを取り戻していった。

新しい学校にもちゃんと通った。
同年代の仲間は、アルフォンソからしたらとても気楽で、子供っぽく見えた。
ただ、その子供っぽさに救われた部分もあった。
友達と悪さをして、フランクにどやされたのも一度や二度ではない。
同年代ではかなり落ち着いていた彼は、まあ非常にモテたので、ちょっとした恋もした。
今までを取り戻すように、アルフォンソは残りわずかな子供時代を過ごした。

整備の腕を上げ、飛行機も乗りこなすようになったアルフォンソは、
やがて空軍士官学校に入ることを望むようになった。
これはフランクも応援したし、士官学校入学にあたっては、
父の実家であるバラッカ家の後押しが得られた。

軍人を継がなかった父の代わりと言われるのは癪だが、
どんなコネだろうと使ってやる気持ちだった。
そうしてなんとか末席にねじ込んでもらい、
晴れて学生の資格を得たアルフォンソは、フランクのもとを去った。

アルフォンソが18歳の時だった。

或る飛行機乗りの家族の話

アルフォンソの両親との話 ※虐待や一部暴力的な描写があります

青年は約束されていた将来を捨て、娘の手を取った。
娘は絹織りの牢獄から逃れ、青年の手を取った。
2人とも家族を捨て、駆け落ちをした。
家族を捨てても2人は永遠に共にいようと誓ったのだ。
誰の思いを裏切っても、お互いを一番大切にしようと決めた2人だった。

青年の名は、セルジオ・バラッカ。
栄誉ある軍人の家の三男坊だった。

娘の名は、マリアンナ・ボルハ。
高名な貴族の家の一人娘だった。

後ろ盾をなくした青年と、世間知らずの令嬢。
寄る辺のない2人が知らない街で生きるのは簡単なことではなかった。
生活は厳しく、頼れるものもないなかで、セルジオは漁師の下働きに入り、マリアもよく彼を支えた。
若い夫婦は少しずつ街に馴染み、やがて青年は、小さいながらも自分の船を持つようになった。

ある日青年は父になり、娘は母となった。
2人の間に、赤ん坊が生まれたのだ。
アルフォンソと名付けられた男の子。
ニコニコとよく笑う、愛想のいい子だった。
セルジオはますます仕事をはりきり、家を空けることも多くなったが、夫婦の愛は色褪せることがなかった。

父と母と子、港町での、細々とした3人暮らし。
アルフォンソは母にべったりで、貧しいながらも愛されて育った。
父であるセルジオと接することは少なかったが、父が出かけるときに必ず言った言葉、「俺がいない間は、お前が母さんを守れよ」という約束は、大事に思っていた。
どちらが先に母のもとに走って行けるか、なんて遊びもしたものだ。
セルジオはいつも大人気なく走って、どうやっても追いつけないアルフォンソを泣かせて、マリアに叱られていた。

一家の幸せにひびが入り始めたのは、母、マリアの胎に新しい命が宿った矢先のことだった。
セルジオの船や網が傷つけられたりする事件が起きるようになったのだ。
よそ者である自分たちへの嫌がらせかと、夫婦は考えた。
しかし、怒りに燃えて犯人探しをしたセルジオがたどり着いた結論は、
マリアの家、ボルハ家からの嫌がらせだった。
マリアはこんなに遠いところまで逃げたのに、そんな筈はないと首を振ったが、セルジオはそう信じて疑わなかった。
口論ひとつなかった夫婦はその時初めて、言い争いをした。

そして嵐の日、港にしっかりと固定されていたはずのセルジオの船は、残骸となって浮かんだ。
杭か縄が腐っていたのだろうとか、ちゃんと固定していなかったのだろうとか、人は好きに言ったが、まだ彼を助けようとする人はたくさんいた。
仕方なく漁師仲間に借金をして網などを買い、また他の船を間借りして仕事を続けようとした父に、さらなる苦難が降りかかった。
船を貸してくれると言っていた漁師仲間までもが、突然に「これ以上船は貸せない」と首を振ったのだ。
収入源を絶たれ借金だけが残ったセルジオは、一晩家に帰らなかった。
翌日ふらふらと玄関の扉を開いた父からは、ひどい酒と吐瀉物の匂いがした。それでも母、マリアは泣きながら父を迎え入れ、帰ってきてくれて嬉しいと、思い切り抱きしめた。

マリアの励ましもあり、セルジオはなんとか頼み込んで別の船の下働きとして雇われ、働き始めた。一家には、なんとしても金が必要だった。
妻の腹に宿った新しい命、アルフォンソの弟か妹の出産費用。体調を崩しがちになっていた妻と子のためにも、セルジオは歯を食いしばって働いた。

セルジオの酒の量は、その頃から徐々に増えていった。
仕事場でのことを、セルジオはマリアにもアルフォンソにも話さなかった。今までもそうだったが、何がたくさんとれただとか、そういう明るいことをたまに言うことはあっても、不満などは家に持ち込むことがなかった。
一度、マリアが仕事のことを話すよう促したことがあるが、セルジオはただ「君に俗世間のことなんてわかりはしない。わかってほしくもない」と呟いて、それ以上何も語らなかった。
今も、思うようにいかないことはいくらでもあるのだろう。安酒を煽りながら、ただ黙って肩を震わせるセルジオを、マリアは強く咎めることはできなかった。

しかし、やっとありついた下働きの仕事さえ、長くは続かなかった。その年は記録的な不漁が続き、彼はまたも職を追われることになったのだ。

借金を返すあてもなく、そのせいで漁師仲間たちとも不仲になってしまった彼に、もう海の仕事はできなかった。
それからも、セルジオは職を探しに走り回った。不漁のせいか港町はどこも不景気で、隣町やその隣まで職を探しに行かねばならなかった。

次の仕事も、マリアを任せられる病院も見つからず、日雇いの仕事で暮らす日々が続いたある日、バラッカ家に訪問者があった。
マリアの実家、ボルハ家の人間だった。
お腹の子の身を案じて、マリアが自分の母へ、窮状を訴える手紙を送っていたのだ。マリアは父母に大事にされた箱入り娘。家を捨てきれてはいなかった。

出産の面倒を見る代わりにボルハ家が出した条件はひとつ。セルジオをついてこさせないことだった。
マリアは必ず生まれた赤子を連れて帰るとセルジオに約束し、アルフォンソをお願いと言い残して車に乗った。
セルジオは一度だけ壁を拳で叩き、わかったと呟いてマリアを見送った。

彼女を箱庭から連れ出した時、絶対に守るとか、必ず幸せにするとか、苦労はさせないとか、そんなことを言った。そう約束したはずだった。
二人の間の約束には、もうひびが入ってしまっていた。

アルフォンソは父の制止を振り切り、家を飛び出して遠ざかる車を追いかけたが、あっという間に引き離されてしまった。
もしかしたらアルフォンソ以上に母と離れ難かったのか、父は、少しでも早く母と赤子を迎えるため、ボルハ家のある街へと向かった。

その間アルフォンソは、父の数少ない知人に預けられた。
その男は飛行機の整備士をしている軍人だとかで、ちょうど軍役のない時期だった。
母にも会えず暇を持て余すアルフォンソは、学校から戻るとだだっ広い滑走路の片隅にある小屋から、飛び立つ飛行機を眺めていた。

数週間して、父、セルジオが迎えにきた。
しかし戸口に立ったとき、今にも死にそうな顔をしていた。それを見かねた知人が別室へ引っ張って行った。
それから少しして、父はただ「帰るぞ」とだけ言ってアルフォンソの腕を掴み歩き始めた。
母や赤ん坊はどうしているのか、呼びかけても返事はなく、口を引き結ぶ父の表情から、ただならぬ雰囲気だけ伝わった。
アルフォンソは、母と赤ん坊になにかがあったのだと子供ながらに察して、わけもわからずすすり泣きながら家路を歩いた。

家に戻ったアルフォンソを迎えたのは、見たこともないほどやつれた母だった。
それでも母に会えた喜びが勝り、アルフォンソは駆け寄って母を抱きしめた。
母は微笑んで、いつものように抱きしめ返してくれた。
ああ、いつも通りのママだ、とアルフォンソは安堵した。そして、その喜びのままに、「ねえ、赤ちゃんはどこ?」と尋ねた。
一瞬にして曇った母の顔を見て、また不安に駆られ、尚も尋ねたが、いつもなんでも答えてくれるはずの母は顔をくしゃりと歪ませ、固まってしまった。異様な雰囲気に押しつぶされまいと尚も問いかけた時、急な衝撃にアルフォンソの体は吹っ飛んだ。
アルフォンソにはなにが起こったかわからなかったが、母の悲鳴と、頰の刺すような痛みと、ぶつけた背中の痛みだけは感じていた。
父が、セルジオが初めて子供に手をあげた瞬間だった。

マリアはアルフォンソを抱きしめて、泣きながらセルジオに謝った。
セルジオはぼんやりと妻子を見つめてから、我に返って泣きながら謝った。
ママを泣かせてはいけなかった。赤ちゃんのことを聞いてはいけなかった。
アルフォンソは自分が何か悪いことをしたのだろうと、なんとなく思った。
その日は、それで終わりだった。

実際、赤ん坊は死産だったと、夫婦は聞かされていた。
エリザベッタと名付けられるはずだったその赤子が無事に生きて、
ボルハ家で密やかに育てられていることなど、知るよしもなかった。

それから、セルジオの酒の量は増える一方だった。
酒浸りになった彼はいつも怒りに支配されているように見えた。
アルフォンソは時どき何かささいな理由で殴られるようになり、父が酒を飲んで帰るたび、細い体にはいくつも青あざがついた。ときには、真っ暗な倉庫へ放り込まれることもあった。
近所はバラッカ家との関わりを避けた。
まるで、一家がゆっくりと破滅していくのを見守るように。

倉庫の中は狭くて暗くてかびくさくて、幼い彼に恐怖を植え付けるには十分だった。いつも泣き疲れるまでドアを叩いていた。毎回、ドアを開けて外に出してくれるのは母だった。
そういう時、決まって母は、ごめんなさいと泣いて謝った。

アルフォンソは、自分が悪い子だからいけないのだろうと、心のどこかでそう思っていた。罰を与えなければいけないような悪い子だから、母も自分を助けることができないのだと、そう自分を納得させていた。
父が、自分を庇おうとした母に対し手をあげるまでは。

その時はっきりと、アルフォンソはセルジオを敵と見なし、
それからは、父から母を守ろうとするようになった。

学校が終わると遊びもせずまっすぐに母の待つ家へと帰り、母の内職を手伝った。そのうち学校をさぼって、整備場で手伝いをし、小遣いをもらうようになった。年も2歳サバを読んで、新聞配達もやった。
父の帰ってくる朝から夜にかけては必ず母と一緒にいて、息を殺して過ごし、運が悪いときには、降り注ぐ暴力に耐えた。

周囲の大人がアルフォンソを引き離そうとしたことは、1度や2度ではない。それでもアルフォンソは「ママと一緒にいなければ」と家へ戻った。

酔うと化け物のようになった父だが、常にそうではなかった。
日中、酔っていないときに家へ帰ると、花束を母に渡し、いままでのことを詫び、稼いできた生活費を渡した。そのたび母は頷いて父を抱きしめていたが、アルフォンソは3度目あたりでもう飽き飽きしていた。
酔っている時の父の印象が強すぎて、今更真人間のような顔を見せられても気持ち悪く感じたし、態度にも出した。
そうすると父は押し黙り、足早に家を出て行く。母は父をなんとか連れ戻そうと追いかけて行ってから、帰ってきて悲しげにアルフォンソを見て、パパのことを許してねと言った。

勿論、許す気なんて無かった。自分がもう少し大人で、まとまったお金さえあれば、今すぐにでも母を連れてここを出て行ける。だが今はそのどちらもない。母を路頭に迷わすわけにはいかない。自分が殴られて済むのならもうしばらくは耐えられる。あるいは、父よりも自分が強くなることができれば。

そうして日々をやり過ごすうち、アルフォンソは15歳になっていた。
この頃になるともう、父が生活費を持って帰ることも少なくなり、母も外に働きに出ていた。
母の美しかった指先があかぎれてひび割れているのを見るのは、アルフォンソにとって何より辛かった。
だが、こつこつと貯めたお陰で、借金をまとめて返し、この街を出られる希望が見えていた。

その日アルフォンソは母の誕生日に花を買って、家路に着いた。
玄関まで来てすぐ、強い酒の匂いと、廊下の靴跡に気づいた。
痛い、やめてという女の泣き声に弾かれるように走って居間へ入ると、母の豊かな金髪が床に広がっていた。
そして、細い母の体に馬乗りになっている男の姿を見た。

アルフォンソは激昂して飛びかかり、思い切り父の体を横に突き倒した。
倒れた父の手から、何か金属が床に転がった。
テーブルに置いていたナイフ。先端に血が付いている。
素早く母に駆け寄ると、未だパニックのまますすり泣く母の白い腕に、ナイフで文字を刻んだような傷があった。セルジオと、父の名前が。

そこから先は怒りで頭が真っ白になって、アルフォンソは父を罵倒した。逆に、心のどこかがすうっと冷えていくような感覚もあった。
もういい、カタをつけろ。こいつは敵だ。さすがの母にもわかっただろう。
そして、起き上がって襲いかかって来た父に、拾い上げたナイフを無我夢中で突き立てた。
死ね、死んじまえ、クソ野郎。
そんなことを言ったかもしれない、言わなかったかもしれない。
父はナイフが刺さったまま後ずさって、その場に崩れ落ちた。

もういい。自分が人殺しで捕まったとしても、貯めてある金はある。母がそれで自由になるならばそれでいい。
アルフォンソはただそう思って、母に別れを言おうと振り向こうとして、突き飛ばされた。
マリアはアルフォンソを突き飛ばして、倒れたセルジオのもとへ駆け寄った。
血の流れる自分の腕を気にする様子もなく、セルジオの胸へ顔をうずめながら、私を置いていかないで、ひとりにしないで、と泣き叫んだ。

アルフォンソがどうしてそんな奴に、そんなことをされてまで、と呟きながらふらふらと近寄ると、今までに見たこともない顔で、マリアは振り向いた。

血と涙に濡れ、憎しみに満ちた顔だった。
どうしてこの人を殺したのとかすれた声でつぶやき、それから絞り出すように、
ひとごろし、お前なんか産むんじゃなかったと、呪いの言葉を吐いた。

それでやっとアルフォンソは、今までの自分の勘違いに気づいた。

母が父から離れなかった理由。
それでも愛していたからだ。父のことを。
母が自分を守るより父といることを選んだ理由。
愛していたからだ。自分よりも父のことを。
母が自分を愛おしげに見つめる理由。
髪の色を褒め、目元や耳の形を喜んだ理由。
最愛のセルジオに似ていたからだ。

母にとって自分は父の模造品であっても、最愛ではなかった。

吐き気に襲われて、アルフォンソはふらふらと廊下を歩き、落ちた花束の上に、胃の中のものをすべて吐いた。
血濡れのまま医者を呼びに行き、それから父を刺したと警察へ自首し、全てを包み隠さず話した。

最後に見た母は、おねがい、誰か医者を呼んで、と座り込んだまま泣き叫ぶ姿だった。
その誰かが自分ではないことは、わかりきっていた。

こうして、アルフォンソは両親を失い、
こうして、夫婦は息子を失った。

青年は約束されていた将来を捨て、娘の手を取った。
娘は絹織りの牢獄から逃れ、青年の手を取った。

誰の思いを裏切っても、お互いを一番大切にしようと決めた2人だった。

或る飛行機乗りの話

いかにしてアルフォンソ・バラッカという飛行機乗りができあがり、どのように生きたのか。
ただしこれは、エースパイロットや恋多き貴公子の華々しさとは遠い裏の姿であり、
伝記というには少々痛ましく、感傷的な話だ。

彼の出身はイタリアの小さな港町で、人々は漁業と観光を資源として暮らしを立てていた。
漁師の男とその妻の間に生まれた彼は、父親に愛された記憶を持たなかった。

幼い頃は、いつも漁に出ればしばらく帰ってこない父親を、母と共に待っていた。しかし網の破損や嵐に船を持って行かれるなど、不幸が続き、父は漁を続けることができなくなった。色々な職を転々とした父親は、何かにつけて妻子に暴力を加えるようになった。大人しい母はアルフォンソを庇いはしたが、暴君のいる家から出ようとはしなかった。もとは両家の子女で、駆け落ちのように父と結婚したという母。誰かに頼って生きることしかできないのだろうと思った。父は恐ろしい存在ではあったが、母の内職の金を足せばどうにか暮らすことはできる程度の金を気まぐれに持ち帰ってきた。
「お前らさえいなければ」と口癖のように言う父を見限り、アルフォンソは働きに出るようになった。重苦しい閉塞感に満ちた家から逃げたいという気持ちもあっただろう。年齢を偽ってさまざまな雑務をこなして、いずれ母を連れて家を出るための金を密かに貯めた。

しかし、彼が拠り所にしていたものが崩れる日は、突然にやって来た。
ナイフを手にした父が母の手にナイフを当て、所有物に名を書くように、自分の名を刻もうとしたのだ。
激昂したアルフォンソはナイフを奪い取り、そのまま父を刺した。
父は刺さったナイフとアルフォンソを見て驚き、後ずさり、崩れ落ちた。
やってしまったと焦りながら、同時に、当然の報いだとも思った。むしろ、何故もっと早くこうしなかったのだろうとすら思えた。
しかし、次の瞬間彼は自分がずっと間違えていたことを知る。
母が泣き叫んで父に取り縋り、息子を呪う言葉を吐いたのだ。

母が自分を連れて粗暴な父の元から出ようとしなかったのは、生活のためではなかった。
母は虐げられて尚、父を愛していたからなのだと、息子の自分より粗暴な父を愛していたからなのだと思い知り、少年の希望は脆く崩れて消え去った。
アルフォンソは絶望のまま、自ら通報して警察に出向き、少年院へ送られた。
父は命をとりとめ、周囲の人間から彼の家庭や父親の行いについて口利きがあったため、それほど重い刑にはならなかった。

結果的に家から離れることができたアルフォンソは、両親のことを忘れたいと願った。
少年院を出ると、ずっと世話になっていた飛行機乗りが彼の身元引き受け人を名乗り出た。

養父の元で気力を取り戻したアルフォンソは、ある時養父に直談判して、航空学校への紹介状を書いてもらった。
母と暮らすため、幼い頃からずっと貯めていた金を学費の一部にあて、一心に飛行機乗りを目指した。

そうして飛行士のアルフォンソ・バラッカができた。
軍属として任務に励んだり、飛行機の操縦技術を高めることで、家のことやしがらみが己の身から剥がれ落ちていくような気がした。

幼い頃から、母親へ愛と献身を捧げてきた彼は、その大きな愛情のやり場を失った。
思えば注ぐ愛情は大きく、受け取ってきた愛情は少なかった。
彼は愛することはできても、愛されることにはいつまでも慣れなかった。

だから、航空学校時代から彼は恋多き男だったが、身を固めようとはしなかった。
むしろ、交際している女性が本気になりそうだと感じれば早めに愛想をつかせようとしてみたり、
その女性と相性の良さそうな男とさりげなく引き合わせることさえした。
たまに突き放しても彼を愛そうとする女性がいた。しかし、彼は彼女らに、狂った父を愛していた母の面影が重なって恐怖すら感じた。
もしかしたら目の前の女性は、自分が狂っても傷つきながらそばにいるかもしれないと恐れた。

アルフォンソは、行き場を失った愛情を注ぐ相手を常に求めていながら、
相手からの愛情を受け入れることができない、いびつな人間になっていた。

それでも、空軍として任務に励む間は、そんな自分のいびつなあり方にも向き合わずに済んだ。
彼は己の真っ赤な飛行機を女性の名で呼び、恋人と言ってはばからなかった。
まわりには気の置けない仲間たちもいて、酒を飲んでは語り明かし、女性と遊び、遅い青春を謳歌した。

しかし次第に空戦は激化し、彼の仲間の多くは空で死んでいった。
いつも空に逃げ場と死に場所を求めていたアルフォンソのほうが、生き残ってしまった。

仲間たちは生きて故郷の地面を踏めず、なぜ自分が生き残ったのか。
抜け殻のような日々のなかで、彼は何度も考えた。

そして、32歳になっていたアルフォンソは、航空学校の教官を目指すことを決めた。
彼の指揮していた隊は、生存率が高かった。偶然もあるだろうが、ただの幸運だとも思わない。
彼らの教官が、隊長がもっと優秀であったなら、死なずに済んだ者もいたはずだ。
これは傲慢な考えかもしれないと、自分でもわかっていた。
だが、やれることをやろう。アルフォンソははじめて、使命感のようなものを抱いた。

すべてはこれから、そんな時だった。
彼を死ぬほど愛していると言う女が現れたのは。

彼は彼女のことを知らなかったが、ろくに彼女のことを知る機会も与えられなかった。
深々と突きたてられ、数度ひねられたナイフで、彼女の歪んだ愛の形を否応無く知った。

アルフォンソは一度崩れ落ちたが、恍惚と笑う女を突き飛ばし、フラフラとガレージへ向かった。
途中で何度か背中を切りつけられたが、ナイフを奪い取って投げ捨てると、女は途端にうろたえて、うわごとの様に謝罪の言葉を吐いた。
それも、最早どうでもよかった。
たぶん内臓はぐちゃぐちゃで、この出血ではきっと助からない、と感じていた。
死ぬならば愛する飛行機とともに、空で死にたい、その一心だった。

美しい彼の飛行機は、跳ね馬のエンブレムを煌かせて、永久の自由へ向けて飛び立った。
操縦桿を握り続けられる限り長く、高く飛んで、彼はアドリア海の遥か上空で意識を失った。
身投げをするように一直線に落ちていった飛行機は海面に叩きつけられ、
部品を散らしながら、暗く冷たい海底へと沈んでいった。

こうして彼は誰とも確かな約束を交わすことなく海に沈み、その生涯を終えた。

はずだったのだが、何故か気づいたら見知らぬ場所にいて、髪は真っ白になっていた。
だから、これはやり直しを許された男の、もうひとつの物語となるだろう。
飛行機のないこの場所で、彼はどんな道を選ぶのだろう。

まあ人間、そう簡単には変わらないのか、
今日もどこかで空々しい愛を語り、報われない恋ばかり求めているようだ。